ほんといろいろ

本と音楽と日々の愚行録

それは書くべきである『供述によるとペレイラは…』アントニオ・タブッキ

私は子どもたちに何としても原爆資料館と平和公園を見せてやりたい。 -附田政登(盛岡誠桜高校校長)2019

2019年11月24日。ローマ法王訪問による平和公園閉鎖のため、予定していた修学旅行での「広島平和記念資料館」見学を諦めていただけないか。そう連絡を受けた盛岡誠桜高校(岩手県盛岡市)校長の附田政登(つくたまさと)氏は、生徒たちに資料館を見学させる意義とその思いを新聞に託した。そしてその思いはローマ法王に届く。彼らは、法王が平和への言葉を語る「平和記念公園での集い」へ招待されたのだ。

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ファシズムの影が忍びよるポルトガル。リスボンの小新聞社の中年文芸主任が、ひと組の若い男女との出会いによって、思いもかけぬ運命の変転に見舞われる。タブッキの最高傑作といわれる小説。 『供述によるとペレイラは…』アントニオ・タブッキ著(白水社HPより)

供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

彼は若い、彼は未来だ。あなたは若い人たちとつきあいたがっているのですよ。たとえあなたの新聞には掲載できないような原稿を書く人間であっても。 『供述によるとペレイラは…』より

悔恨の念に苛まれ、死について考えるペレイラ。そんな過去に生きるペレイラは2人の未来と出会い、現在へと巻き込まれていく。


こうやってブログを書くようになって、言葉のもつ力、もしくは無力さについて今まで以上に考えさせられるようになった。自分の思いが届いた時の喜びは実感として身体に染み込み残っているが、また逆も然りである。ただ、ひとつ変わらず思うのは、言葉で表現する事それ自体こそが重要なのではないか、ということである。思いが届く届かないに関わらず、とにかく書く(もしくは話す)べきなのだ。

勿論、間違っているということもあるだろうし、批判を受けることだってあり得る。が、それこそが表現することの意義であって、一番避けなくてはならないのは皆が同じ意見を持つような世界になってしまうことである。決してビッグブラザーに屈してはいけない。

まあね、言ってはいけないこと、やってはいけないことがあるということも忘れてはいけないけどさ。

『供述によるとペレイラは…』の主人公ペレイラも、若い2人の行動や言動に触れ、自分が本当に正しいと思うことが何なのかに気付いていく。この思いは何も急に無から現れたわけではなく、元からペレイラの魂の一つとして存在していたものである。僕らの魂はひとつだけではなく、いくつも存在し、なにかのキッカケでその中のどれかが表出しはじめ、別のどれかが隠れていく。その全てが自分であって、どんな行動、言動も紛れもなく自分である。自分らしくない、なんてことはない。

その、「らしさ」、とかいうものが自由を奪い、書くべきことを書けず言うべきことを言えなくしてしまうのだ。なんて、かく言う僕もそういう何かに囚われやすく、なかなか思っていることを言えないタイプであって、だからこそ、最後のペレイラの行動に畏敬の念を覚えるのだけれども。

タイトルから分かる通り、その行動によってペレイラは捕らえられてしまったのだろうが、多分、もう悔恨の念に苛まれることはなかった(少なかった)のではないかと思う。

後悔のない人生などあり得ないが、どう生きようが結局後悔するのであれば、意味があろうがなかろうが僕はブログを書く。ただ書きたいからである。

What do you want meaning for? Life is desire, not meaning.
-Charlie Chaplin(チャップリン)

意味?そんなものいらない。

いや、まあ、別にあってもいいんだよ。


タブッキのやつ↓

『レクイエム』アントニオ・タブッキ

『インド夜想曲』アントニオ・タブッキ