ほんといろいろ

本と音楽と日々の愚行録

全てへの祈りを捧げる眠りの書『レクイエム』アントニオ・タブッキ

夢でもし逢えたら素敵なことね
あなたに逢えるまで眠り続けたい

『夢で逢えたら』大瀧詠一

前回の『インド夜想曲』が不眠の書であるならば、この『レクイエム』は眠りの書と言えるかもしれない。ゆっくりとまぶたを閉じ眠りに落ちれば、もう一度逢いたいと願う、今は亡きあの人との対話が叶うということだってある。もっと話がしたかったなって人、いるよね。

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そんな死者たちとの対話をしながら、ある詩人との待ち合わせの時間までリスボンの街を漂う男の話。それがこのアントニオ・タブッキの『レクイエム』である。

七月は灼熱の昼下がり、幻覚にも似た静寂な光のなか、ひとりの男がリスボンの街を彷徨い歩く。交錯する生者と死者、現実と幻想の世界。 『レクイエム』アントニオ・タブッキ(白水社HPより)

レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

レクイエム (白水Uブックス―海外小説の誘惑)


死別には悔恨の情がつきもので、タブッキ的に言えばそれは「帯状疱疹」である。時折思い出したように急に表出し、僕らを苛む。そして、それは死ぬまでつきまとい、決して消え去ることはない。

わたしはよく、こんな風に思うのです。帯状疱疹というのはどこか悔恨の気持ちに似ているとね。『レクイエム』p100

あの時こうしていれば、もっとちゃんと話をしていれば。いくら後悔して自分を責めてもどうすることもできない。でも、もしかしたらその思いの強さが、眠りの夢の中へその人を引き寄せてくれるかもしれない。そうすれば、少しは悔恨の思いも落ち着くだろう。

もしくは、『アントニウスの誘惑』の霊的治療に頼るのも一つの手かもしれない。

悪魔の誘惑に耐えるアントニウスのように、僕らも悔恨の念にはただただ耐えるしかないということを知り、そしてそれが実はただの妄想に過ぎないのだということを理解することで、救われる(救われた気になる)のだ。

ボスは聖人の魂のなかで荒れ狂う嵐を描いた。彼はひとつの妄想を描き出したんです。『レクイエム』p98


「レクイエム」とは鎮魂歌という意味だけれど、鎮魂(ちんこん/たましずめ)という言葉は、死者生者両方に対して意味をもっている。死者の魂を鎮めることと、生者の魂が抜け出そうとするのを鎮めること。この小説は、まさにその両面の狭間を漂いながら、読んでいる僕らの心を鎮めてくれる。

忙しさにかまけて何か大切なもの(魂)を忘れているような気がする時に、この『レクイエム』を読むのが、ベストオブ鎮魂。

とかくだらないこと言ってないで、あの人と逢えることを期待してさっさと眠りについたほうがいいね。


イザベルが気になる。『イザベルに:ある曼茶羅』を読めばその謎が解けるのか。いずれ読もう。

イザベルに: ある曼荼羅

イザベルに: ある曼荼羅

あとタブッキと言えばペソア。待ち合わせしていた詩人はおそらくと言うか間違いなくペソア。ペソアの作品もそのうち。

不安の書 【増補版】

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『インド夜想曲』アントニオ・タブッキ