つまり、草野正宗氏の言葉をお借りするならば、
くだらない話で安らげる僕らは
その愚かさこそが何よりも宝物
(「愛の言葉」より)
ということなのだ。
傷ついた犬のように、私は生まれた場所へと這い戻ってきた──一人で静かに人生を振り返ろうと思っていたネイサンは、ブルックリンならではの自由で気ままな人々と再会し、とんでもない冒険に巻き込まれてゆく。9・11直前までの日々。オースターならではの、ブルックリンの賛歌、家族の再生の物語。 (新潮社HPより)『ブルックリン・フォリーズ』ポールオースター著
『ブルックリン・フォリーズ』のフォリーズ(follies)は愚かさ、愚劣という意味の「folly」の複数形である(らしい)。この小説の主人公ネイサン・グラスが書き溜めていく人間の愚行の数々は、もしかしたら人間が生きることの意味や価値(そんなものがあるとして)なのだと言えるのかもしれない。
そして、このブログのようなくだらない文章を書いて安らげる僕ら(ら、ではない?)は、そのくだらない文章を書くことこそが人生にとってとても重要なことなのだと考えても許されるのである。だって、マサムネとオースターが言ってるんだし。
ということで今回、ポールオースターの『ブルックリン・フォリーズ』を読んで、ますます日記(記録的文章)を遺すことの重要性を感じた次第である。そしてそれは自分だけではなく、自分に関わる人たちも含めたものであるほうがより良いということも。
ちょうど、この小説と併読(というか乱読の一部)していたマルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』と妙にシンクロしてしまって(とか言ってコチラはまだ全然序盤)、少し哲学的な読み方に偏ったのか、自分の小世界でしか生きることのできないはずの人間たちの、その孤独と孤独の交わる一瞬(あると信じている)の大切さみたいなものを意識してしまったために、そう感じただけかもしれないけども。
まあ、そういった、全ての人間は孤独であり、かつ一人で生きているのではない、という矛盾したパラドクス的エピソードを本気で信じさせてくれる物語を描くのがポールオースターという作家であるとも言える。
とにかく、すぐさま忘却の彼方へと葬り去られる日々一瞬一瞬の出来事を記録することの大切さをひしひしと感じたのである。なんていうかほら、秋だし。
さて、この『ブルックリン・フォリーズ』。ポールオースターの作品の中で、もっとも読みやすい小説であるといってもいいかもしれない。いつもの重苦しさ(否定的な言葉ではない)はなく、むしろコメディのように読めさえもする。登場人物が多く、群像劇的ストーリーなために、こちらの心情も誰か一人に深くはまり込んでいかず、うまく分散させられるからかもしれない。しかし当然誰一人として重要でない人物はいない。
その彼らが編み上げる物語が、とにかくシンプルに笑えて泣ける。そして、勿論それだけではなく、いつも通り深く思索することの楽しみを味わうことのできる(オースター作品の醍醐味)、そんな小説である。
そして、目前にせまるその瞬間。その寸前まで愚かなる意味の中を精一杯生きていた人々が体験する理不尽。今まさにそれは起きようとしているのかもしれない。誰がために鐘は鳴るのか。いまや穏やかな響きを立てて、この『ブルックリン・フォリーズ』という小説は僕に言う。汝は生きねばならぬと。
ジョン・ダン「瞑想録第17」(これしか知らない)とマサムネ・クサノの言葉たちは、ポールオースターの作品世界に通ずるね(私的意見)。

- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
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