ほんといろいろ。

小説の感想とその他いろいろ(音楽、映画、壁紙...)愚考録

『ミスター・ヴァーティゴ』ポールオースター

いつから無心で信じるということができなくなったのだろうか。

v8fMKV1odmkL2Evm/BMLHEeLFEN39o6Qc.jpg

「私と一緒に来たら、空を飛べるようにしてやるぞ」ペテン師なのか?超人なのか?そう語る「師匠」に出会ったとき少年はまだ9歳だった。両親なし、教養なし、素行悪し。超然とした師匠の、一風変わった「家族」と暮らす奇妙な修行生活のなかで、少年がやがて手にしたものとは―。アメリカ文学界きっての語りの名手が編む。胸躍る歓喜と痛切なる喪失のタペストリ、心に迫る現代の寓話。 (新潮文庫より)

ということで、ポールオースター的ファンタジー小説『ミスター・ヴァーティゴ』である。主人公が壮絶な修行の果てに空を飛ぶ、という奇抜な設定であるにもかかわらず、オースターの作品の中で一番と言ってもいいほど感情移入させられた小説である。感情移入させられる小説が優れているというわけではないけれども、こういう非現実的な物語を自然に読ませ、かつ読み手の感情をコントロールしてしまうのは、オースターの筆力あってのことだろう。


僕には子供はいないが弟の娘、つまり姪っ子がいて、たまに会った時などに彼女を見ていると、自分がどれだけ汚れているのかを思い知らされたりする。そして、決してあの頃には戻れないという事も知っている。この薄汚れた世の中で生きていくには仕方のない事なのかもしれないけれど(世の中のせいにしてはいけない)、なんというか、そんな自分を嫌悪するようなこともなくはなく。まあそんなに深刻になるほどではないんだけれども、もう少し心に溜まった汚れなんかを落として軽くなりたいな、なんて思ったり。そうすればもしかしたらウォルトのように空も飛べるかもしれない。

ただし、何かに逆らえば反撃を与えられるのがこの世界の常で、空を飛んでしまえば当然、重力の仕返しを浴びることになるのである。

「そして歳をとればとるほど、痛みはひどくなる。これは重力の復讐なんだ、ウォルト」 (『ミスター・ヴァーティゴ』新潮文庫 p283)

子供の頃は何も考えずにできていたことが、大人になると何か犠牲を払わなくてはできなくなるということなのかもしれない。寂しいね。


ポールオースターの小説といえば「偶然」が物語を引っ張っていく印象があるけれども、この『ミスター・ヴァーティゴ』はむしろ「因果」というか良い事があれば悪いことがあるというような 、まあ言ってしまえばよくありがちなストーリーである。が、折々に挟み込まれるエピソードや登場人物たちのセリフ回しがやはり魅力的で全く飽きさせない。そしてなんといっても、オースターと言えばの「野球」的エピソードである。

実在したメジャーリーガー「ディジー・ディーン」を物語に登場させ、なかなか好き勝手に扱って(まあいい意味で)、とても魅力的なエピソード(ストーリー的にも重要)をでっち上げている。こういった実在の人物を登場させる現実と虚構の狭間ストーリーは、オースターの得意とするところである。

こういうところ、僕のようなオジさんたちは好きだろうな。


最近特にネットやSNSなどに信用できない情報が溢れて、どうしても疑心暗鬼になってしまう今の世の中、もう逆に人が空を飛んだっていう話を信じたっていいのではないかと思う。科学的ではない?知ったことか。

世界はある決まった方法ででき上がっていると連中は信じていて、俺のような才能を持った人間は奴らの宇宙には居場所がない。俺にできるようなことができてしまうと、すべてのルールがくつがえされてしまう。それは科学と矛盾し、論理と常識を転覆させ、百の理論をズタズタにしてしまうのだ。お偉方や教授連は、俺の芸を受け容れられるようルールを変えるより、俺がインチキをやっていると決めつけることにしたのだ。どの町へ行っても、新聞はそういう寝言で一杯だった。 (『ミスター・ヴァーティゴ』新潮文庫 p261)

かめはめ波だって、修行すれば出るものだって信じて毎日練習してたあの頃。

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)