ほんといろいろ

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『闇の中の男』ポール・オースター

家族だろうが他人。他人だろうが家族である。

ある男が目を覚ますとそこは9・11が起きなかった21世紀のアメリカ。代わりにアメリカ本土に内戦が起きている。闇の中に現れる物語が伝える真実。祖父と孫娘の間で語られる家族の秘密──9・11を思いがけない角度から照らし、全米各紙でオースターのベスト・ブック、年間のベスト・ブックと絶賛された、感動的長編。 (新潮社HPより)

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もしあの時ああしていたら、こうだっただろう。誰しもそのような想像の物語を思い描くことがあるのではないかと思う。それは後悔からかもしれないし、あるいは幸福からかもしれない。いずれにしろ、「記憶」というものが現在の自分を作り上げているのは疑いない事実のように思われる。人は過去に囚われずには生きていくことはできない。過去から逃れようとするならば、もはや自分をこの世界から消し去るしかないのかもしれない。

この老人は、自分を殺させるために君をを創り出したんだ。 『闇の中の男』(新潮社) p87

眠れぬ夜、主人公オーガスト・ブリル(72歳おじいちゃん)は、過去の辛い記憶から逃れようと物語を捏造する。ポールオースター著『闇の中の男』。これは、辛い過去から逃れられず苦闘する「家族」の物語である。そしてまぎれもない希望の物語である(と言いたい)。

僕は家族の話にめっぽう弱い。友人や過去の恋人(数少ない)などよりも、家族との「記憶」が今の自分を構成する要素の大半を占めているからだろうと思う。ポールオースターの小説はたくさん読んでいるけれども、ここまでストレートに感情を揺さぶられたのは初めてかもしれない(いつもはどちらかと言うと深い思慮の果ての感動)。家族的要素を含んだオースターの小説は他にもあるけれど(大好きな「ムーンパレス」もだね)、この『闇の中の男』ではそれがよりシンプルにかつ強く出ているように僕には感じられ、心を動かされた。

可愛い子らよ、我々は前進しているのだ、この混沌はひどく辛いかもしれぬが、そこには詩情もあるのだ、それを表わす言葉が見つかるなら、そういう言葉が存在するとして。そうともミリアム、世の中は嫌なものだ。でも私はお前に、幸せになってほしいとも思うのだ。 『闇の中の男』(新潮社) p107


とはいえ、それが主たるテーマかと言うとそういうわけでもなく、やはり様々な要素が渾然一体となっているのがポールオースターの小説。帯には「ある男が目を覚ますと そこは 9.11が起きなかった もうひとつのアメリカ」。もし9.11が起きていなかったら、というのがブリルが夢想する物語の世界である。彼が何故そのような世界を創造したのか(せずにいられなかったのか)については、是非実際に読んで感じていただければと思う。そういうところはしっかり、僕のではなくポールオースターの文章(柴田さん訳)で味わってほしい。

世界一つひとつが、人間の精神の産物なんだ。 『闇の中の男』(新潮社) p85


ブリルおじいちゃんと孫娘のカーチャ(映画学校をドロップアウト中)は、二人で映画を観て辛い日々をやり過ごす。この『闇の中の男』の中で、それらいくつかの映画について語られるけれど、とりわけ小津安二郎の「東京物語」に関しては映像の描写も含め、特に詳細に語られている。このパートは作品の中でも重要なエピソードのひとつで、ポールオースターのこの映画に対する愛情が感じられる場面でもある。

「砂の女」を映画で観て安部公房に興味を持ち、それが文学につながっていったと、あるインタビューでオースターは語っていたけれど、このように日本の作品に影響を受けているというのは、オースターファンで日本人の僕としてはとても嬉しいことだ。しかし反面、日本人として小津安二郎作品を知らないというのが恥ずかしいことのようにも思えてしまう。別にそんなことはないとはわかっているけれど、いずれしっかり観ておきたいところでもある(オースターファンとしても当然のことだろう)。

映画の中には書物に負けず優れたもの、最良の書物に負けず優れたものもあって(そう、カーチャ、そのことは私も認めよう)、これは間違いなくそういう一作だ。トルストイの中編小説に劣らず繊細で心を動かす。 『闇の中の男』(新潮社) p91


このように『闇の中の男』には、家族、戦争、テロ、映画など様々な要素が混在している。とは言えそれはポールオースターの小説ではいつものこと。いやいやアメリカ文学とはそういうものだよ、と言われれば確かにそうなのかもしれないし、僕がアメリカ文学を好むのはそれがひとつの要因だろうとも思う。しかし、オースターほどの、それら様々な要素に対する優しい目線、深い愛情を感じる作家にはなかなか出会えない(知らないだけかもしれない)。

再読すればまた違うのだろうけれども、今回は特に家族についての物語という印象が強く残った。悲惨で目を背けたくなるような描写もあり、辛いけれども、それでも微かにでも希望を持てる優しさのある物語である。

闇の中の男

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