ほんといろいろ

本と音楽と日々の愚行録

鹿に感謝したらヴォネガット

今日は鹿に出会った。勿論野生の鹿で、岩手県の内陸部と沿岸部を頻繁に行き来する僕にとって、それは特に珍しいことではないのだけれども、今日の鹿は道路の真ん中に堂々と立ち(いつもの彼らは路肩にいた)、完全によそ見をしていて、危なく轢きそうになった。

まあ、逆によそ見をしていてくれたおかげで、うまく避けることができたのだけれども、通り過ぎてからもながいこと心臓がバクバクしていた。後続の車に轢かれたりしていなければいいけれど。

轢かれたりなんかしたら、それはとんだとばっちりだろうな、鹿にしてみたら。なんだか申し訳なく思わなくもなく、どうにも情けない気持ちになったりもする。

随分と自動車にはお世話になっているけれども、やはりその扱い方には気をつけなくてはいけない。ただ、いくら気をつけていても、事故を起こしてしまう可能性はいつ何時でも誰にでもある。取り返しのつかないことがいつでも起き得る。

僕も事故を起こしたことがある。幸い、相手方に怪我をさせてしまうということはなかったけれども、それでもやはり恐怖という記憶を残させてしまった。昨日も似たようなことを書いたけれども、その記憶はふとした時に思い出され、その方の未来に影響を与えてしまうかもしれない。どうしているだろうか。

今日鹿に出会って、危うく轢きそうになったことで、僕のその記憶は引き出された。そしてこのように文章にすることで、多分気持ちを整理しているのかもしれない。いや、それはただのこじつけだろう。

物語が過去を未来に結びつけるのだ、とティム・オブライエンは『本当の戦争の話をしよう』の中で書いていたけれど、もしかしたら日記というものも記憶と未来を結ぶものなのかもしれない。

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

未来には希望を持ちたい。とすれば、日記は希望へ向かうものであるべきなのか。べき、ということはないのだろうけれども、出来ることならばそういうものを書けたらいいなとは思う。

いつになったら日記というものを書くことができるようになるのだろうか。

なんて。また意味がわからないことを。

まあ兎にも角にも、今日あの場所に居た鹿には感謝しなくてはいけない。そして、いつかまた会える日を楽しみにしている。

て、明日には忘れるのだろうけれども。そんなものだ(ヴォネガット風)。

おわり。