ほんといろいろ。

読書とただ日常は日記か何か

春の意欲

近頃どうにも意欲というものが、何に対しても湧いてこないと感じている。それは勿論言うまでもなくもう絶対に春のせいなのだけれども、とは言えそう安直に決めつけるのもどうかと思いもする。確かに随所に春を感じる何かを見つけることはできる。例えば、ふきのとう。風。道行く人々の表情。あいにくまだ岩手には桜は咲いていないけれども(僕の知る限り)、それでも、ああ春かもしれない、と感じないこともない。

でもだからといって、意欲のなさを春のせいにしてしまうのは傲慢に過ぎるんじゃないの君。と、あなたに言われて、はっとした僕はiPhoneを手に取り、この文章を書き始めた。さて経緯はこれくらいにして、続きをどうぞ。

全く身に覚えがない、因果のない出来事が自分の身に降りかかるというような理不尽というのは、勿論起こり得るのだけれど、でもなんというか、何かや誰かのせいにするというのは、僕の中ではあまり好ましくないことであって、どうしても自分に原因がある可能性を追求してしまうクセがある。まあ、だからどうということではないけれども、近頃の意欲のなさ(主にブログ対する)の原因というものを探ってみようかな、などと思ったのであります。

いや探るというか、ある小説を読んでいて気づいてしまったというのが本当のところで。その小説(村上春樹氏の1Q84)の内容には関係ないのだけれども(関係ないというのが重要)、要はまたしても僕は「この小説についてブログを書こう」としていたことに気づいたのだ。人間は同じ過ちを繰り返してしまう生き物だから仕方ないのだけれど(誰かのせいにしている)、それに気付かずにのうのうと生きていた自分に恥ずかしさを感じる。

というのは勿論言い過ぎで、「あ、またか」というくらいのもんなのだけれど、とりあえず気がつくことができて良かったと思っている。さあ僕にも春が来たのだ。あの素晴らしくかくも美しい春が。そんな春をやる気のなさの言い訳に利用するなど言語道断である。

ということで、もう少し気取らず適当な駄文雑文日記的読書記録をこれからもつらつらと書いていきたいと思う。

ていうか、ポールオースターの『幻影の書』が僕の本棚から消えたんですけど、誰か知りませんか。知るわけないか。

どこー?

おわり。