この際ですから正直に言いますと、僕は村上春樹氏の小説が好きでした。でした、というのは正確ではないかも知れません。「でした」と「です」の間、の何処かです。
多分20代前半だったと思いますが、とにかく村上春樹氏の小説ばかり読んでいた時期がありました。何故読み始めたのかは定かではありませんし、最初に読んだ小説もはっきりとは覚えていないのですが、羊系のどれかだったとは思います。
一作読んでしまえばハマるのは必然だったといって過言ではないのかも知れません。しかし僕は偶然が世の中を形成しているのだと考えています。ここにもポールオースターの影響が見え隠れしていますね。
素直になるのが得策
ところで、相反するかのような二つの言葉が、実のところイコールで結ばれるという事例は少なくありませんが、「必然」と「偶然」もそれに含まれるのではないかと思います。つまり言葉というのは僕たちの勝手気儘な解釈次第で変幻自在自由自在だ、ということですね。
またよく分かんないこと書いちゃいましたけれども、要するに最近村上春樹氏の小説を再び読み始めたのだということでして。本当に長い間避けてきたことをここでお詫びしておこうと思います。まあ自分の問題なので誰に謝るということでもないのですが、あれです、単純に言うと、素直になろうということなのです。
あるきっかけがあり、避けるようになってしまいましてですね、そのままズルズルと今の今までなかなか戻れない、というかもう読みたいとも思わなくなってしまっていたのですが、やはり注目度の高い作家さんですので、どうしても目に入ってきてしまいます。いたるところに「村上春樹」の影響は見て取れます。
そういった意識せざるを得ない状況に置かれていながらも華麗にスルーしてきたのですが、最近どうも、本当は読みたいのではないかと思う瞬間がたまに沸き起こってくるのを感じていまして。そうなると、サクサク掘り起こしますね本棚を。そうしますと出てきますねボロボロの文庫本が。となればパラパラとめくりますね頁を。ここまできたらお分かりですね?あとは、想像にお任せします。
と、お任せしておいてあれですが、結局僕は村上春樹氏の小説が好きなのだ、と気付いた(思い出した)ということでした。そして、リハビリと称しまして、再び読み出したのだよ、ということを報告するためのブログになるのです。
リハビリは『1Q84』から始まる
何年前だったのか、最後に読んだのは何だったのか記憶は定かではありません。なので、特に意味などなく、先日中古本屋さんで購入した『1Q84』を読み始め、そこで青豆さんと天吾くんに出会いました。その先は今の所なにも分かりません。いずれ分かるのかもしれません。最後まで読む気力があればそれは達せられるでしょう。だって長いもんね、これ。
その長い距離を走る中で、「でした」からどれだけ「です」に近づくのか見ものです。他人事のように言っていますが、自分の事ですね。でも客観的に見るという視点も大事ですから、それもいいのでしょう。
終わりの始まり
「そろそろ飽きてきたな、この文体」
「じゃあやめたら?」
「ああそうだな」
「とか言って、簡単にやめられないくせに」
「まあ、気分次第だろうな」
おわり。