ほんといろいろ。

小説の感想とその他いろいろ(音楽、映画、壁紙...)愚考録

小説は即座に読みはじめるのが宜しかろう

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「音楽的な文章」という表現が、例えば小説の書評なんかで使われていたりします。「リズム感のある文章」なんてのもありますね。何となくわからなくもない、というくらいの感性しか僕は持ち合わせていないのですが、特に生活の負担にはなりません。とか言いながら、その表現に少しだけ憧れがある、ということは一応伝えておかなければならないのかも知れません。

ていうかさ、そもそも言葉って音楽だよね、という向きはとりあえず置いておいてですね、こういう書評などでよく使われる表現って、どうしても「言葉」が先行してしまって、自分の率直な感想というか思考回路からは少し離れたところにあるような気がするなあ、と感じておるわけでありまして。

つまり、「音楽的な文章」という言葉を知ってしまったことで、それを意識してその文章を読んでしまって、多分きっと恐らく本当は違う感想を抱いていたであろうはずの自分の脳内が、破茶滅茶に撹拌されてしまって本を読むどころの話ではなくなってしまうということです。少し言い過ぎましたことを文句を言われる前にお詫び申し上げておきますが、文句はご自由に。

さて、そうなるとそもそも言葉というものを知れば知るほど、自分とはかけ離れてしまうということになってしまいます。でも言葉を知らないと思考、つまり考えるという行為自体不可能な気もします。

じゃあこのパラドクス的ほにゃららをどうするかって、さあ。どうしたらいいか僕にはわかりません。多分誰にもわかりません。説明できたらパラドクスなど存在しません。人生がつまらなくなってしまう恐れがありますね。

不純物的前知識

ちょっと話が大きくなってしまった気がしますが、つまり僕が思うのは、小説を読むのに余計な前知識はなるべく避けて通るべきだということです。

要するに、さあこれから楽しく小説を読もう、という時にですね、先に書評やレビューを読むべきではないのではないかという気がしておるということです。あくまで僕的には、ということですが。まあ、本の読み方は自由ですから、ご勝手にどうぞという感じですけれども。

いや、でもそこは本当に自由で、そもそもなにを読もうかと選書するのに、そういった書評やレビューなんてのは参考になるものですし。そうやって良書、というか自分好みの本に出会うということも十分ありえます。

実際、僕も以前はそうだったりしたのですけれどもですね、段々なんだかちょっと違うかなー、なんて思ったりするようになったのでございましてですね。今となっては、書評やレビューを先に読むことはほぼありません。たまに欲望に負けて見てしまうことはありますが。

言葉に踊らされている

それにしても、言葉というのは面白いものですね。知れば知るほど、表現の幅が広がるような、でも自分の感覚が鈍化していくような不思議な感じがしますね。

退化に抗うことが、かえって退化を促進してしまうのではないかという恐怖と闘いながら人は生きていくのです。とか何とか言う宗教でもありそうですので、洗脳されないように気をつけましょう。

また何だかよくわかんないこと書いちゃいましたけれども、結局僕も言葉に踊らされているのだという認識を深めたということで、良しとしてください。

でもあれだよね、小説を読み終えて、書評を読んで、また読み返すのって楽しいよね。だからさ、前より後の方がいいんじゃないの、多分。

おわり。